前回の、歯科治療のブログは、意外にもたくさんの方から、反響がありました。
これだけ、たくさんの歯科クリニックが街中にあるのに、
多くの方が、信頼できる歯科医師を探していらっしゃることにも、非常に驚きました!
私だけではなかったのですね!
まだまだ、書きたいことがあるのですが、
ちょっとブレイクです。
今日は、あまり、ストレスとは言えないような感覚、
軽い、窒息感のような、心地よさから遠ざかっているような、ある感覚について、
少しだけ、書いてみたくなりました。
私にも、もちろん、経験があることです。
そして、クラニオセイクラル・バイオダイナミクスは、
その感覚から、静かで安定した感覚に戻るために
とても助けになるのです。
今日は、相対的な見方と、絶対的な見方というテーマで、
以前に登場した図に、また登場していただき、
少しだけ、書きたいと思います。
(次から、なぜか、急に、です、ます調から、だ、である調に変わります。)
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人の外側に広がる大宇宙と共に、内側に広がる小宇宙の図。
タオは一つである。
陰陽の世界は、相対的な世界である。
比較して、はじめて、自分が解る。
自分を知ることができる。
この価値判断は、生きる上で、とても必要な目安である。
私たちが生きるこの世界の、一つの普遍的な一面であり、
悪いことでも、良いことでもない。
しかし、この相対的な比較で、自分を感じる習慣があまりにも長くなると、
比較する何かがないと、
自分が、誰だかわからない状態になってしまう。
そして、その状態は、自分だけではなく、
周囲に、呼吸がゆっくりと浅くなっていくような苦しさや、
緩やかに、心地よさを奪い取るような苦しさをもたらす。
タオは一つである。
唯一の自分、たった一人の自分。
比較しようがない自分。
内なる世界につながる自分。
良い、悪い、という2つの極に分かれることのない、中心の自分。
相対的な世界とは、
良いか、悪いか、
上か、下か、
正しいか、間違っているか、
勝つか、負けるか、
そのどちらかであり、
絶対的な世界とは、
そのどちらも含み、
また、どちらも含んでいない世界である。
そして、比較のない世界でもあるし、
勝負のない世界とも言える。
頭で、考えて、
じゃあ、相対的な世界より、
絶対的な世界の方が良いのだな。
と、思うことは、
相対的な見方をしているのかもしれない。
絶対的な世界とは、
ただ、今そこに存在するという
在り方に過ぎないとも言えるのではないか。
それは、
頭で、考えることではなく、
ココロと、身体が満たされ
光が降り注ぐかのように
ごく自然に、ただ、高次の意識が、
内側に浸透し、流れ込んでいる状態。
それは、思考や考え方ではないし、
ポジティブな感情でも
ネガティブな感情でもない。
感覚とも言えるが、
感覚よりも、もっと、深い、
在り方。
決して、誰かに、理解してもらうために
自らの価値を、説明する必要がない、
存在の仕方。
その存在の仕方だからこそ、
言葉で、説明し、説得する必要が
全くないとも言える。
その時、あらゆる言葉は消え、
静寂が広がる。
静寂は、内側に満ち溢れ、
穏やかに、外側に、漏れて広がる。
そして、周囲には、安らぎと笑みがこぼれる。
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クラニオセイクラル・バイオダイナミクスは、
この中心の静けさに還ることができます。
あなたの在り方に
一筋の光をともす、
安らぎのひと時を
ご自分にプレゼントしてみませんか?
(最後は、です、ます調に戻してみました!)
次は、歯科治療のお話の続きです♡
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中満整体